かえるの日記

「ミルク壺に落ちたカエルは必死になって脚を動かしました。するとミルクはバターになって、カエルは外に出ることができました。」 でも、落ちたらそのまま浮かんでて、おなかすいたらミルク飲んで待ってたら、だれかがミルクを飲むために壺を傾けてくれるかも?

長田神社

今日は外反母趾の治療に、整体院に行ってきた。だんだんと治療の間隔が長くなってきている。

整体院のそばに長田神社という神社がある。立派なお社で、事代主神という神さまをお祭りしてある、由緒ある神社なのだそうだ。

治療の初日にお参りをし、その後は鳥居のところでご挨拶をするだけにしていたのだが、歩きながら見ていると、通りすがりの老若男女が鳥居のところで足を止めて、拝んだりご挨拶していく。
あるときなど、ランナーのようないでたちの若いお兄さんが、乗っていた自転車を鳥居のところでおりて自転車を近くにとめ、そこで本堂に向かって二礼二拍手一礼して、くるっと左向け左をしたと思ったら、とっとっとっ、と神社伝いの細い道を走り出した。ジョギング前に神様にご挨拶してたんだな、と思った。

本当に地元の人たちに大事にされている神社であり神さまなんだと思った。

こういうところに、日本の神さまは、いらっしゃる。

2月の野田ライブラリをおそまきながら聞いた。「なぜスピリチュアリティか」というお話で、2011年のものだ。内容を詳しくは書かないでおこうと思うが、その中で先生が「スピリチュアリティがないとどうなるか」としてお話されていたことが、最近急速に、たくさんの人々に起きているように感じる。アドラー心理学の世界でもそうだし、それ以外の世間でもそうだと思う。

最後の方で先生は、ユングが「心理療法の仕事はクライエントさんをその人の本来持っている固有の宗教に連れ戻すことだ」と言ったとお話されている。以前、先生の生前にこれをうかがったときは「そんなモノかな?」思った程度だったが、今回野田ライブラリで聞いて、あらためてその言葉の意味がしみてきた。
本当にそうだと思う。

スピリチュアリティ」というのは、人間を超えた存在を信じて、そうした存在と向き合うことに価値を置く生き方のことだ。世間で言われている「スピリチュアル」というあやしげな言葉とは少し違うかも知れない。その、人間を超えた存在が、人によっては神さまであったり仏さまであったり、ご先祖さまであったり、また「世界」とか「存在」とか「ハイヤーパワー」とか、そのように呼ぶ人もいる。「宗教」というのはそうした生き方のひとつなのだと私は考えている。

ユングはヨーロッパ人だから、「宗教」というのは持っていてあたりまえの世界で生活していた。だが今の日本で「宗教」というと、ちょっと煙たがられたりうさんくさいモノだと思われたりするような風潮がある。でも、私たち日本人の暮らしを少し見直してみると、生まれた時にはお宮参りに連れて行ってもらい、土地の神さまに「この子をよろしくお願いします」と親がご挨拶をする。七五三の祝いをする。毎年のように初詣をし、受験の時にもお参りに行く。厄年にはお祓いをしてもらい、子どもができれば「この子をよろしくお願いします」とお宮参りに連れて行く。

ご飯のときにはお箸を自分と食事の間におく。それは、神さまと自分の間の境界を作っているのだと聞いたことがある。食事は神さまに属するものなのだそうだ。それを「いただきます」と言って、お箸をとって、いただく。

日本ではこのような暮らし方そのものが、ユングのいう「宗教」にあたるのではないかと思った。アドラー心理学風に考えると、それは人間を超えた大きな世界への所属、ということになるのではないか。世界との所属を失った人は、自分か他人しか信じられなくなる。それはとても生きづらいだろう。そして問題にぶつかり、カウンセリングに来る。
だから、「心理療法の仕事はその人の本来持っている宗教に連れ戻すこと」ということになるのだ。

野田先生はたぶんこの録音がされた2011年頃から、日本の慣習や伝統を大切にすることを重要視され、いろいろなところでそのお話をされていたように覚えている。それは単に「右より」とか「保守的」になったわけではなく、私たちを「本来固有の宗教」に連れ戻そうとし、そのような暮らし方を未来の日本人に遺そうとされていたのではないかと思っている。

私もそのような仕事がしたいと思う。

長田神社のような神社が、どうか末永く残りますように。

そういう神社にお参りする心を持つ人々が、増えていきますように。

『生クリームの中の蛙』

この頃気に入っているネット番組がある。鎌倉の古寺円覚寺の管長、横田南嶺(よこたなんれい)さんがやっている『管長日記と呼吸瞑想』というものだ。だいたい10分ちょっとの講話があって、その後1分くらい、呼吸を観る瞑想をする。毎朝リリースされるので「皆さん、おはようございます」から始まり「今日もよい1日をお過ごしくださいますよう」で終わるのだが、私は寝る前に聴いている。管長さんは、ゆったり穏やかかつメリハリのあるユーモラスな話し方をなさる。とても話し方が上手だと思う。それに内容もとても興味深い。これをほぼ毎晩、脚の筋トレをしながら聴いている。筋トレは外反母趾の整体の先生に教えていただいたもので、寝転んでできるのだ。そして最後に呼吸の瞑想をすると、なかなか心がおちついて、眠るのによい。

昨夜もそのようにして、寝転んで筋トレをしながら聴いていた。どこぞの心療内科の先生が書かれた記事についてのお話から入って、スペインのホルヘ・ブカイという人の『寓話セラピー』という本に入っているというお話にすすんだところで、いきなり飛び上がるほどびっくりした。『生クリームの中の蛙』というお話が出てきたからだ。まさに、私が聴いたことのある、あのカエルのお話だった。

2匹の蛙が生クリームの瓶に落ちた。生クリームは重くて、体が沈んでしまう。泳いでも少しも進まない。一匹の蛙は「自分はもう死ぬんだ」と思ってあきらめて沈んでしまった。しかしもう一匹の蛙は、あきらめずに脚を動かし続けた。同じ場所に浮いたままなのに、何度も脚を動かし続けていた。すると、散々脚を動かしていたために、生クリームは固まってバターになったので、蛙はひとっ飛びして瓶から出ることができた。

というお話である。
絶体絶命のピンチでも諦めることなく努力することで、道が開ける、というたとえとして、アドレリアンの間ではなぜか有名なお話である。このような教訓話として私は覚えていたのだが、横田管長さんはさらに深いお話として紹介してくださった。

このお話には「精進努力することの秘訣もあるな、と思いました。」とおっしゃるのである。どういうことかというと、もちろんこの話の一匹の蛙のようにあきらめてはだめであるが、あきらめなかった蛙の努力も、すぐに息が切れる努力では助からなかっただろう、というのだ。努力といっても、息が切れて力尽きてしまうような努力ではなくて、ずっと継続できる、息が切れない程度の根気良い努力精進が大切だと。それが、精進を続ける秘訣になるのではないか、ということだった。

なるほど、本当にそうだと思った。

しかし、絶体絶命の状況で、つまり助かるかどうかもわからない先が見えない状況で、息が切れないような根気良い努力をするって、それこそ大変ではないか? あきらめてしまった蛙とあきらめなかった蛙は何がちがうんだろう?と思った。もちろん、根気かも知れないけれど。。。

それは、「希望を持ち続けること」ではないか?と思った。

アドラーのお弟子さんだったヴィクトール・フランクルは、ユダヤ人の強制収容所で、多分私には想像もできないほどの過酷な状況を生き抜いて、還ってきた。彼は仲間と共に、希望を持ち続けるように努めたという。野田先生は「治療的楽観性」という言葉にして教えてくださった。どんなときでも何か必ずできることがあるということ。希望を持つこと。

なるほどそういう話だったのだな、この話は。ただ頑張れば道は開ける,だから頑張ろう、というのではなくて、大事なのは希望を持つことなんだ。

以前私は、野田先生から何か課題をいただいてその仕事をしていたときに、その課題の大きさに圧倒されて思わず「できるんだろうか。。。」とため息交じりに一人ごとを言ったことがあった。少し離れたところでご自分の作業をしておられた先生はそれを聞くなり、何も言わずにただひとつ「ふん~っ」と大きなため息をついた。その瞬間、私は気づいた。野田先生はこれまでどれほど、「できるんだろうか?」と思うほどの大きな仕事をやってこられたのだろう? ああ、アドレリアンであり続けるなら、これは言うべきではないんだ、と思った。言うべきは、そうではなくて「何かできることがある。それはなんだろう?」だ。

アドレリアンはいつも、希望を観ている。だから、明るい。
そういうところが私はとても好きだ。
今もこれからも、多分いろんな状況に出くわすだろう。
どんなときも希望を持って、精一杯、息が切れないくらいの精進を、仲間と一緒に続けていこうと思う。

 

『寓話セラピー』をネットで探してみたが、残念ながら探しあたらなかった。ひょっとしたら、横田管長さんのお話を結構な数の人が聞いていて、たくさんの人が『寓話セラピー』を求めたのかも知れない。まあ、ご縁があればそのうち読めるだろう。

『管長日記と呼吸瞑想』のあり場所、貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=UJvgPSkCoGc

『献呈』

関西へ来てから、声楽のレッスンに通い始めた。もう8年近くになるのではないか。もともと歌は好きなので、楽しく通っている。先生は私より10才くらい若い(んじゃないかな)女性で、歌だけでなくピアノが上手で、伴奏がうまく、本当に上手に「のせて」くださる。ただ「のせる」だけではなくて、声の出し方、言葉の発音のし方、響きの保ち方、などなど、最低限注意すべきポイントと専門家としてのプラスアルファを教えてくださる。それでいて、私が「こう歌いたい」というのがそれほど先生の好みと外れていないようで、けっこう活き活きとやらせていただいている。

いつも西洋歌曲と日本歌曲を1曲ずつ練習する。今週は、両方とも新しい曲だった。西洋歌曲はシューマンの『献呈』"Widmung" だ。リストがこの曲をピアノ用に編曲しているのでかなり有名だということだが、私はシューマンもリストの方も知らなかった。youtubeで検索すると、リストのピアノ版の方がたくさん出てきた。

シューマン、そういえば、これまであまりご縁がなかった。以前一度幻想小曲集の『飛翔』というピアノ曲を聴いて、あまりにもロマンチックでいたく感動し、自分で挑戦してみたが、あまりにも無謀で歯が立たなかった。

大学を卒業して2年目だったか、学生オーケストラで交響曲第3番「ライン」をやったことがあったが、私はタイミングが合わなくて残念ながら本番には出られなかった。明るくてダイナミックで、本当にドイツの丘陵地帯や金色の畑などが目に浮かぶような曲で、オケでやってみたい!と思っていた。それで、本番には出られなくても、と思い一度だけ練習に参加させてもらったことがあった。ところがビオラは刻みが多くて、曲全体が盛り上がるところでジャカジャカジャカジャカ一色懸命に刻むのだが、その割に金管楽器に音が消されてしまって、不毛で、弾いていてあまり気持ちよくなかったのを覚えている。このあたり、ブラームスとかチャイコフスキーだと刻み音型であってもビオラがとてもよく聞こえて、刻みがいがあるのだが。

そんなこんなで、シューマンは少し敬遠していたが、今回やっとご縁ができた。

ロベルト・シューマン 1810年生まれで1856年没。アドラーが生まれるよりも前の人だ。今はドイツだがその頃はザクセン王国だったツヴィッカウというところで生まれた。
5人きょうだいの末子で、上に兄が3人、姉が1人いた。父親はライプチヒ大学で文学を学び、書籍販売と出版を営むかたわら自分でも詩などを書いていたそうで、母親は外科医の娘だったという。両親はシューマンのために家庭教師を雇ったというから、相当裕福な家庭だったようだ。シューマンは幼い頃から小さな作曲などをしていたらしい。7歳の時に父親に連れられてドレスデンの劇場へ行き、ウェーバーの指揮するベートーベンの交響曲(すごいね!)を聴いて感動したという。また、ギムナジウムに入るとピアノを習い始め、父親はシューマンのためにシュトライヒャー製の高価なピアノを買ってくれたという。そしてシューマンは若い頃から方々で演奏し賞賛を得ていた。

なるほど、裕福な家の末子。かなり自己概念と世界観がよさそうに思える。「私は能力がある」し「人々は私の仲間だ」と思いながら育ったのではないか。家族の価値は、主に文系の学業あるいは教養と商売かな?

シューマンは後に、ピアノの先生だったヴィークという人の娘のクララと結婚することになる。それまでもシューマンはかなり恋多き人だったらしいが、クララとは結婚してから最後まで、とてもよい関係で過ごしたようだ。子どもは8人産まれ、シューマンとクララはそれぞれがつけていた日記を相手と一緒に読み、おたがいにコメントをつけあったりしていたそうだ。とてもよいコミュニケーションを持った夫婦だったようだ。
師匠のヴィーク先生は娘がシューマンと結婚することを許さず、面会も文通も禁じたあげく暴力沙汰を起こして訴訟問題にまで発展するほどだったらしい。それでもシューマンは秘密裏にクララに自作の曲を送り、ピアニストでもあったクララは、父親と巡った演奏旅行でシューマンの曲を演奏したという。


今回課題になった『献呈』は、まさに結婚する前にシューマンからクララに捧げられたものだそうだ。

「だから、ものすごいエネルギーがこもってるんですよね。」と、歌の先生はおっしゃった。「中間部のゆったりしたところは、休んでしまう人が多いですけど、ここはエネルギーを保って歌った方がいいです。フラット系からシャープ系に変わった、ここの音ではっきり『変わった』と聞こえるように、キラキラと(ニコッ)!」

ひええええ! この低い音を、キラキラと?? 
そんなプロみたいな要求する~?

でも、なるほど。
若くてたぶんまだあまり苦労を知らない、自己概念と世界観のよい、末子の天才シューマンが、どうしても結婚したい恋人に捧げた歌。
難しそうだが、やってみたい。

 

音楽は、楽譜で表されている。シューマンは自分の想いを楽譜という記号にしてくれた。それを、後年私たちが、起こす。もちろん私はシューマンではないし、プロのような技術もない。だから彼が想ったようにはとうてい歌えない。でも、私なりに記号に命を吹き込むことはできるかもしれない。歌の先生は、そのために役に立つアドバイスをくださる。

せっかくご縁ができたシューマンが大切な人に捧げた歌だから、大切に練習しようと思う。

ミニマルコレクション

外反母趾の治療に整体院へ通い始めて3週間が過ぎた。教わった立ち方や歩き方をできる限りやっているつもりだが、この前先生に「まだ体が前に出てますよ」と言われた。この治療の歩き方は、体重を後ろにある足に乗せたまま、反対の脚側の腸腰筋(腰椎から出て大腿骨に止まる筋肉)を使って膝をあげその足の踵を地面につけながら進む。体よりも脚を先に前に出すという歩き方なのだ。大変芸当的である。しかしこの歩き方が正しくできると、足趾に力がかからずに歩けるのだ。したがって、それまで大変負担がかかって外反母趾になっている足趾を休めることができる。痛みが激しい人はこれだけで痛みが和らぐだろう。

教わった筋トレもまずまずやっているつもりではあるのだが、施術で筋肉にそっと触れただけで先生は「まだこの下腿内側の筋肉が弱いですね。」とおっしゃる。アドラーやってない人だから、よい面ばかり言うわけではない。まあね。頑張るもんね。いやそれでも結構勇気づけになっているな。

とはいえこの間、かなりうれしく驚いたことがあった。バレエのレッスンで、バランスがとりやすくなったのだ。例えば、ピケ・アラベスクという動き(アラベスクというポーズに立つ動き)がある。準備の姿勢から、片脚を床に突き刺すようにしてつま先で立ち、もう一方の脚を後ろに上げる。いろいろな踊りに出てくるし、レッスンの時にこれをやらない日はないくらい、あらゆるところで出てくる動き(ポーズ)である。先週のレッスンの時に、このピケ・アラベスクが非常に安定して立てたのだ。以前は音の分いっぱい立っていることができず、半分くらいで踵を落としてしまっていた。それが、先日はとてもしっかり立つことができた。一回だけでなく、同じ動きをするときにはだいたい安定して立てたのだ。これはすごいことだ。

たぶん、治療を始めたことが奏功しているにちがいない。

私が受けている整体の施術は、マッサージのように筋肉をほぐすでもなく、関節をボキボキやったり極限まで脚の曲げ伸ばしをしたりすることもまったくない。ただ関節や筋肉に触れながら無理ない範囲で脚を動かしてくださる。私はただ力を抜いて、先生が脚を動かしてくださるに任せる。それだけで、関節の可動域が大きくなったり、使っていなかった筋肉の存在がつかみ取れたりするのだ。本当に不思議だと思っていた。
それで、この前行った時に、歩き方の練習の一環で骨盤を少し外側にねじるような動きをやった。難しかった。先生は「これは今すぐにできなくてもいいです。もう少したったらまたやります。今、筋肉に仕込んでおくとそのときにやりやすいので。」とおっしゃる。

なるほど。ゴリゴリやる必要はないんだ。動かすべきところを正しくちょとだけ動かすことで、使われるべき筋肉を目覚めさせてやる。そうすると、目覚めた筋肉が必要な時に働いてくれるようになってるのか。

以前カウンセリングの講座で野田先生から教わったことを思い出した。「ミニマルコレクション(最低限の修正)」というのだ。
クライエントがカウンセリングを受けに来る。カウンセラーはクライエントのエピソードを聞いて、そのエピソードの中でクライエントがやってることの、どこをさわれば今後の人生でも使えるかを見つけ出し、そこをさわる。そうすると、カウンセリングに来た後、次の回までに少し状態がよくなる。そうして続けていくと、クライエントの問題解決力は直線的にではなく、カウンセリングに来るたびごとにさらに大きく改善の方向へ向かうという。

整体も同じで、整体師は患者の関節や筋肉のどこをどのようにさわるとその人の体がうまく動くようになるのか見つけ出し、そこを少しだけさわるのだろう。あとはその人自身の力で、本来あるべき状態に向かってくれると信じているのだ。

人が本来もっている力を信じてそれを使う。

こういう考え方が、私は好きだ。

よい先生に巡り会えるカルマが私にはあるようで、とてもうれしい。


ピケ・アラベスクの動画を貼っておきます。ご参考まで。

www.youtube.com

 

彦根

アルバイトで彦根へ行った。

彦根駅から現地まで、タクシーを使った。タクシーはお城の石垣の間の狭い道を、右に左に道なりにくねくね曲がりながら進んでいった。お城の中を探索しているようでワクワクしながら外を眺めていたら、一つ石垣の間を抜けたところでぱあっと視界が開けた。外堀にかかる橋の上にいるらしい。冬の雪国のような灰色の雲の間から陽が差して、お堀の水面が銀色に光っている。遠くに冬枯れの桜並木が見える。思わず息を止めるほど美しい景色だった。

彦根にはこれまでに二度、訪れたことがあった。
1回目は社会人になって3年目、臨床麻酔学会がここで開催されたとき。その頃は大学の麻酔科の医局に入っていた。教授や大勢の先輩方と、街なかの中華料理店で食事をしたことだけ覚えている。

もう一度は、彦根で行われたASMIに参加したとき。このとき私は関西に移るために、前の日に大阪に宿泊して部屋探しをし、新居(といっても古い分譲マンションの賃貸だが)を借りる契約を済ませたところだった。
新しい生活を前にワクワクしていた。
もちろんASMIも楽しかったが、なによりも野田先生の近くにいられることが、一番うれしかった。

合宿中に満月の夜があって、先生は何人かの参加者と連れだって散歩に出かけられた。私は何か用があって部屋に帰ったのだが、なんと、先生からメールをいただいた。そこには先生作の短歌が入っていた。どうやらお月見に誘ってくださっているらしい。

「これは短歌で返信せねば!」と思った。もちろん短歌を詠んだことなどそれまでになかった。思いつくままにとりあえず五七五七七を並べた。なかなか思うように行かず、言葉をこねくり回していた。そうこうしているうちに時間がたって、もうお散歩は終わりになってしまったようで、確かもう一つ先生から短歌をいただいた。
私はさっきから並べ替えこねくり回していた言葉を、とっさに思いついたものに代え、とりあえず送った。
歌というのもはずかしいので、「はじめてつくった五七五七七です。」と言い訳を添えて、送った。

 返せとて歌の一つもひねれどもひねりひねくれ月かたぶきぬ

笑ってしまう。

ASMIの後、野田先生が彦根の街を散策しないかと誘ってくださり、先生とお二人の先輩アドレリアンと私の4人で、彦根の街を歩いた。実はもったいないがそれも、あまり覚えていない。ただ野田先生とご一緒できることが、とてもうれしかった。

確か先生からいただいた歌がその日の補正項に載っていたと思って、探してみた。

2006年11月4日だった。
胸が痛む。

野田先生のことを、思い出して言葉にするのは、とても勇気がいる。
先生はとても美しい思い出を、いくつもいくつもくださった。
とても美しい人生を、垣間見せてくださって、その方向へと導いてくださった。
なんとありがたいことだろう。先生と出会え、近くで学ばせていただけたことは。
だからこそ、まだ悲しい。

 瀬田川の水面光りておだやかに深恩の師は今朝すでに逝く

 

 

隠れた目的

外反母趾の治療が始まった。
一応、約半年のコースで、はじめは週一回、その後だんだん間隔を伸ばしてゆく。

昨日は立ち方の復習をした後、少し施術があった。脚や足を曲げたり伸ばしたり、少しねじったり。。。 不思議なことに、そうして動かしていただいた後は、前回もそうだったが、股関節や膝の可動域が大きくなるのだ。不思議なことこの上ない。

そして今日は、「脚の内側の筋肉の力をつけるトレーニング、やりますか?」と聞かれた。なかなか上手に目標の一致をとってくるじゃないか。

私はずっと以前から足首が不安定で、左右どちらも、足を内側にねじってこけてしまうことがある。バレエでポワントで立つときにもそれが影響して(10年間以上ポワントレッスンを休んでたので単に筋肉が弱くなってたってのもあるけど)若い頃よりもしっかり立ちづらくなっていて、「足首弱いな~どうしたら強くなるかな~」とちょうど思っていたところだったのだ。外反母趾の治療、という名目で来ているが実を言うと、同時に足首を強くしてポワントでもっと自由に踊れるようになりたい、という、隠れた目的も持っているのである。

なので、「はい!やりたいです!」と力を込めて返事をした。

それで、いくつかのトレーニングを教えていただいた。実際そんなに手間のかかるものではない。一通りのトレーニングを教わって最後に先生がおっしゃることには。
「これ毎日やってください。」

そうか、やっぱり。。。
今度は返事に詰まった。
元来なまけもので、できるだけ楽にいろいろやりたい私としては、なかなかきびしいじゃないか、と思う。外反母趾を治すという目標が一致したわけなので、先生も容赦なく課題を出してくるのだろう。

もちろんトレーニングをするのもしないのも、どちらを選ぶのも私の自由だ。だが、やれば筋力はつくし、やらなければ筋力はつかない。それなら、なんのために通ってるの?ということになる。

先生は決して無理なことをおっしゃっているわけではない。たぶん、お気に入りのニュース解説動画を見ている間にできるくらいのゆるゆるのトレーニングなのだ。
それになによりも、これをやればポワントでしっかり踊れるようになりそうである。

一瞬ためらったが私は、「はい」と返事をした。
外反母趾を治すことももちろん素敵だが、それによってバレエがもっとできるようになりたいという隠れた目的の方が、動機としてはどうやら強いらしい。


カウンセリングで、まずクライエントのざっくりとした目標を聞いておくことがある。クライエントがさしあたっての問題を解決した結果として実現したいことを、クライエント自身に考えて語ってもらうことは、カウンセリングに積極的に参加してもらうために、なるほど大きな意味が出てくるのだ、と納得した。

『パセージ』の最初に出てくる「子育ての目標」も、まさにこれだ。

治療目標をしっかり一致させることはとても大切だ。さらに、目標を達成してどうなりたいのか、そのもう少し先のイメージがしっかりあることが、治療のためにけっこう重要なんだね、と思った。

 

意識的下手

新しく教わった立ち方と歩き方を、気づいたときにやってみているが、これがなかなか難しい。

まず、気づいたとき、ということになるから、ずっと練習できているわけではないのだ。それでも、結構意識しているつもりではある。
例えば歯磨きをしているとき。
家の中を歩いているとき。
姿見の前を横切ったとき。
赤信号を待っているとき。
信号が青になって歩き出したとき。
などなど。

立つことや歩く事は日常動作だ。だから、意識しさえすれば練習の機会は十分にある。これだけ練習できる機会があるのだから、「時間がない」とかいう言い訳ができなくなる。自分がやろうと決めれば、できることなのだ。なんという幸せなことか!

さてそれで、自分で練習したとして、正しく練習できているか、ということが次に問題になる。
たとえば、この前教わったように、お尻を少し後ろに引いて、踵に体重が乗るように立つ。体全体をそのまま後ろへ持ってくると、重心が後ろへ来るわけだから、当然後ろに転びそうになる。それを避けるために、脚より上のどこかを、これまでとは違う姿勢にする必要が出てくる。

まず感じるのは、大腿四頭筋が緊張することだ。つまり、腿の前側の筋肉に、力が入ってしまうのだ。しかしこれは正しいとは思えない。これを続けると、腿が太くなってしまうはずなのだ。だから、大腿四頭筋に不必要な力が入るのは、多分望ましくないだろう。他にやりようが絶対にあるはずだ。

骨盤の角度を少し変えるとどうだろう。といっても、骨盤が後ろに下がってしまうと、おなかの力が抜けてしまう。すると、おばあさんのような立ち方になってしまう。これも多分正しくないだろう。

先日整体の先生は、お尻よりも胸が前に来ます、とおっしゃった。踵に体重を感じて、腿に力が入らないように、それでいて骨盤が落ちないように。。。そうすると、腹筋を少し使って、骨盤を立ち上げる感じになる。ここはバレエの立ち方と似ている。

などということを考えながら、足から脚、骨盤、背骨のつながり方を感じつつ、今度は歩く。ぎくしゃくする。歩くのが難しい。なんだか自分の身体ではないみたいだ。疲れる。
今までやっていたことを止めて新しいことをする、というのは、こういうことなのだと、あらためて思う。無意識的にしてきたことがそれまでのようにうまく行かなくて、余計なエネルギーを使って疲れてしまう。そして「こんなのでいいのだろうか?」と不安になったりもする。

『パセージ』をはじめて受けた時のことを、実はもうあまり覚えていないのだが、はじめて『パセージ』を受けるメンバーさんは、こんな風に感じているのかもしれないなあと思い至った。
そのことをあらためて体験する、よい機会になってうれしい。

そしてまた、思う。これはきっと「意識的下手」というやつだ。
この立ち方歩き方を知る前の私は、「無意識的下手」だった。
この後も新しいやり方を続けると、「意識的上手」になって、ついには「無意識的上手」になっていくはずだ。
これがわかっていると、展望が明るくなる。ただし、正しいやり方ができているかどうかは大問題だ。間違ったやり方の「無意識的上手」になっても何の意味もないのだ。実際、間違った立ち方歩き方の「無意識的上手」の成果が、外反母趾、ということなのだ。

だから、正しいやり方で「無意識的上手」になるまで、その道の専門家にみてもらう必要があるのだ。
ああ、いずこも同じだ。