かえるの日記

「ミルク壺に落ちたカエルは必死になって脚を動かしました。するとミルクはバターになって、カエルは外に出ることができました。」 でも、落ちたらそのまま浮かんでて、おなかすいたらミルク飲んで待ってたら、だれかがミルクを飲むために壺を傾けてくれるかも?

彦根

アルバイトで彦根へ行った。

彦根駅から現地まで、タクシーを使った。タクシーはお城の石垣の間の狭い道を、右に左に道なりにくねくね曲がりながら進んでいった。お城の中を探索しているようでワクワクしながら外を眺めていたら、一つ石垣の間を抜けたところでぱあっと視界が開けた。外堀にかかる橋の上にいるらしい。冬の雪国のような灰色の雲の間から陽が差して、お堀の水面が銀色に光っている。遠くに冬枯れの桜並木が見える。思わず息を止めるほど美しい景色だった。

彦根にはこれまでに二度、訪れたことがあった。
1回目は社会人になって3年目、臨床麻酔学会がここで開催されたとき。その頃は大学の麻酔科の医局に入っていた。教授や大勢の先輩方と、街なかの中華料理店で食事をしたことだけ覚えている。

もう一度は、彦根で行われたASMIに参加したとき。このとき私は関西に移るために、前の日に大阪に宿泊して部屋探しをし、新居(といっても古い分譲マンションの賃貸だが)を借りる契約を済ませたところだった。
新しい生活を前にワクワクしていた。
もちろんASMIも楽しかったが、なによりも野田先生の近くにいられることが、一番うれしかった。

合宿中に満月の夜があって、先生は何人かの参加者と連れだって散歩に出かけられた。私は何か用があって部屋に帰ったのだが、なんと、先生からメールをいただいた。そこには先生作の短歌が入っていた。どうやらお月見に誘ってくださっているらしい。

「これは短歌で返信せねば!」と思った。もちろん短歌を詠んだことなどそれまでになかった。思いつくままにとりあえず五七五七七を並べた。なかなか思うように行かず、言葉をこねくり回していた。そうこうしているうちに時間がたって、もうお散歩は終わりになってしまったようで、確かもう一つ先生から短歌をいただいた。
私はさっきから並べ替えこねくり回していた言葉を、とっさに思いついたものに代え、とりあえず送った。
歌というのもはずかしいので、「はじめてつくった五七五七七です。」と言い訳を添えて、送った。

 返せとて歌の一つもひねれどもひねりひねくれ月かたぶきぬ

笑ってしまう。

ASMIの後、野田先生が彦根の街を散策しないかと誘ってくださり、先生とお二人の先輩アドレリアンと私の4人で、彦根の街を歩いた。実はもったいないがそれも、あまり覚えていない。ただ野田先生とご一緒できることが、とてもうれしかった。

確か先生からいただいた歌がその日の補正項に載っていたと思って、探してみた。

2006年11月4日だった。
胸が痛む。

野田先生のことを、思い出して言葉にするのは、とても勇気がいる。
先生はとても美しい思い出を、いくつもいくつもくださった。
とても美しい人生を、垣間見せてくださって、その方向へと導いてくださった。
なんとありがたいことだろう。先生と出会え、近くで学ばせていただけたことは。
だからこそ、まだ悲しい。

 瀬田川の水面光りておだやかに深恩の師は今朝すでに逝く