かえるの日記

「ミルク壺に落ちたカエルは必死になって脚を動かしました。するとミルクはバターになって、カエルは外に出ることができました。」 でも、落ちたらそのまま浮かんでて、おなかすいたらミルク飲んで待ってたら、だれかがミルクを飲むために壺を傾けてくれるかも?

意識的下手

新しく教わった立ち方と歩き方を、気づいたときにやってみているが、これがなかなか難しい。

まず、気づいたとき、ということになるから、ずっと練習できているわけではないのだ。それでも、結構意識しているつもりではある。
例えば歯磨きをしているとき。
家の中を歩いているとき。
姿見の前を横切ったとき。
赤信号を待っているとき。
信号が青になって歩き出したとき。
などなど。

立つことや歩く事は日常動作だ。だから、意識しさえすれば練習の機会は十分にある。これだけ練習できる機会があるのだから、「時間がない」とかいう言い訳ができなくなる。自分がやろうと決めれば、できることなのだ。なんという幸せなことか!

さてそれで、自分で練習したとして、正しく練習できているか、ということが次に問題になる。
たとえば、この前教わったように、お尻を少し後ろに引いて、踵に体重が乗るように立つ。体全体をそのまま後ろへ持ってくると、重心が後ろへ来るわけだから、当然後ろに転びそうになる。それを避けるために、脚より上のどこかを、これまでとは違う姿勢にする必要が出てくる。

まず感じるのは、大腿四頭筋が緊張することだ。つまり、腿の前側の筋肉に、力が入ってしまうのだ。しかしこれは正しいとは思えない。これを続けると、腿が太くなってしまうはずなのだ。だから、大腿四頭筋に不必要な力が入るのは、多分望ましくないだろう。他にやりようが絶対にあるはずだ。

骨盤の角度を少し変えるとどうだろう。といっても、骨盤が後ろに下がってしまうと、おなかの力が抜けてしまう。すると、おばあさんのような立ち方になってしまう。これも多分正しくないだろう。

先日整体の先生は、お尻よりも胸が前に来ます、とおっしゃった。踵に体重を感じて、腿に力が入らないように、それでいて骨盤が落ちないように。。。そうすると、腹筋を少し使って、骨盤を立ち上げる感じになる。ここはバレエの立ち方と似ている。

などということを考えながら、足から脚、骨盤、背骨のつながり方を感じつつ、今度は歩く。ぎくしゃくする。歩くのが難しい。なんだか自分の身体ではないみたいだ。疲れる。
今までやっていたことを止めて新しいことをする、というのは、こういうことなのだと、あらためて思う。無意識的にしてきたことがそれまでのようにうまく行かなくて、余計なエネルギーを使って疲れてしまう。そして「こんなのでいいのだろうか?」と不安になったりもする。

『パセージ』をはじめて受けた時のことを、実はもうあまり覚えていないのだが、はじめて『パセージ』を受けるメンバーさんは、こんな風に感じているのかもしれないなあと思い至った。
そのことをあらためて体験する、よい機会になってうれしい。

そしてまた、思う。これはきっと「意識的下手」というやつだ。
この立ち方歩き方を知る前の私は、「無意識的下手」だった。
この後も新しいやり方を続けると、「意識的上手」になって、ついには「無意識的上手」になっていくはずだ。
これがわかっていると、展望が明るくなる。ただし、正しいやり方ができているかどうかは大問題だ。間違ったやり方の「無意識的上手」になっても何の意味もないのだ。実際、間違った立ち方歩き方の「無意識的上手」の成果が、外反母趾、ということなのだ。

だから、正しいやり方で「無意識的上手」になるまで、その道の専門家にみてもらう必要があるのだ。
ああ、いずこも同じだ。